T園COOはベトナム戦争時のことを例にあげる。
コードネームは「ミッションインポシブル」という。
AIGと日本との縁は意外に深い。
戦後GHQとともに、外国人用の損害保険会社AIUとして、1946年営業を開始している。
戦後の外資上陸の第1号だ。
AIG日本人社員の草分けはI谷千春IOC副会長「私流ないい方になりますが、ちゃんと仕事をしないと、『村』に入れないというところはありますが、仕事をきちんとする人には暖かいというのが特徴だと思います。
17年から17年間続いたベトナム戦争の時には現地にたくさんの従業員がおりました。
サイゴン市(現ホーチミン市)が爆撃を受け、共産政権が誕生しようとしている時、グアムに飛行機をチャーターして、砲撃が止んでいる間に、グアムとサイゴンの間を往復し、従業員を救出したということもありました。
17年のイラン革命の時には、イランから出たい人は欧州のAIGで受け入れることを決め、実施しました。
世界130カ国に進出しているので、こういう例は結構あると思います」。
「身近な例では、私の古いアメリカの友人が日本でのゴルフの最中、心臓発作で倒れました。
そのときニューヨーク本社はあちこちに連絡し、結局、アメリカから心臓医学の権威をプライベートの飛行機に乗せ、日本にやってきました。
おかげで一命を取り留め、後にアメリカに連れて帰って手術し、いまでは元気に働いています」。
出ていない。
そのI谷が第3の父と呼んでいるのが、AIG創業者のSター氏。
Sター氏の資金援助のおかげで、アメリカ留学、オリンピックでの活躍が可能になり、ついには銀メダリストになったわけだ。
I谷選手は文武両道の人で、立教大学を中退して、アメリカ東部のニューハンプシャー州にあるDートマス大学に留学した。
留学時代には「腕立て伏せをしながら、床に置いた本を読み、勉強した」という逸話の持ち主で、ついには卒業時に、卒業者のなかで、ただ1人だけに与えられる「Dートマスカップ」を授与されるほどの優等生でもあった。
創設者のSター氏は1920年上海に保険会社を創設したが、その前に横浜に寄り、日本上陸の可能性を探っている。
戦後の日本進出は満を持しての上陸といえよう。
17年7月、国際オリンピック委員会(IOC)副会長に就任したI谷千春は、AIGグループの損害保険会社AIUの名誉会長でもある。
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